佐野市(さのし)は、首都圏から70キロ圏内に位置し、栃木県南西部にある人口約12万人の市です。平成17年2月28日に佐野市、安蘇郡田沼町、安蘇郡葛生町の新設合併により、現在の佐野市が誕生しました。
由 来 さかのぼること平安時代・・・
シ ン ボ ル ゆるキャラグランプリ第1位の「さのまる」
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佐野市章
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育み支え合うひとびとと水と緑と万葉の地に広がる交流拠点都市をテーマとし、英字イニシャルの「S」をモチーフに表しています。 | 佐野ラーメンのお椀の笠、いもフライの剣を持った、佐野の城下町に住む侍。自慢の前髪は麺で出来ている。 |
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佐野市の花 かたくり | 佐野市の木 まつ | 佐野市の鳥 おしどり |
歴 史
藤原秀郷 | |||
| 佐野市の歴史のなかで、もっとも重要な人物といっていい藤原秀郷 は、佐野市中央にある唐沢山のあたりを拠点として平安時代初期に活躍した武者です。 その勢力範囲はいまの栃木・群馬の2つの県にまたがっていました。天慶3年(940年)の平将門の乱で将門をやぶったことが有名です。またの名を俵藤太といい、近江の国(今の滋賀県)でのムカデ退治などの伝説がいまもかたりつがれています。 |
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田中正造 | ||||||
| 天保12年(1841年)現在の佐野市小中町に生まれました。明治24年頃から足尾銅山鉱毒問題にとりくみ、衆議院議員に当選しながらもやめて、鉱毒問題を天皇陛下に直接うったえたことは有名です。 田中正造の考え方は、産業と環境の共存を考えるうえのひとつのモデルとして、今日も生きつづけています。
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交 通 交通の要衝に位置する佐野市
佐野市の南東部、北関東を東西に横断する国道50号と関東地方から東北地方を南北に繋ぐ東北自動車道が交わり、各方面へのアクセスがしやすい交通環境です。佐野プレミアムアウトレットやイオンショッピングセンターなどの大型商業施設が進出し、新しい商業地域が形成され、特に週末には県内はもとより、関東一円から多くの人が訪れています。 また、東北自動車道・佐野藤岡インターチェンジに加え、平成22年4月には北関東自動車道・佐野田沼インターチェンジも開通しました。平成23年4月に開通した東北自動車道・佐野サービスエリアのスマートインターチェンジと合わせると、市内に3つのインターチェンジを持つことになり、その立地条件から、道路交通の要衝としてさらなる発展が期待されています。 鉄道では、東西に走るJR両毛線が佐野市と小山市・足利市方面とを結び、葛生駅を起点とした東武鉄道佐野線は、田沼駅、佐野駅を通り、館林市を経て東京へと繋がっています。 高速バス新宿線、東京線により首都圏、県都宇都宮と直接結ばれています。 |
産 業 全国の九割を生産するドロマイト
佐野市の工業は、石灰・繊維露天・鋳物工業中心からはじまり、現在は機械・食品が中心といっていいでしょう。拠点となっているのは、佐野工業団地、羽田工業団地、田沼工業団地、佐野インター産業団地、佐野みかも台産業団地の5つの工業団地です。
佐野市北部には、広大な石灰岩地帯が広がっています。この地域では、江戸時代初期から、これらをいかした石灰岩工業が発展しました。日光東照宮などにも佐野市でほった石灰が使われています。現在でも、その埋蔵量は15億トンといわれていて、セメントや建設材料などに使われています。 |
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